工芸品的家つくり

北海道資料

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    北海道の風土を知るための資料

北海道の歴史

北海道には数万年前の氷河期にシベリアから人類が渡ってきた。
約12,000 ~ 13,000年前には本州からも渡来する。
その後、縄文時代~続縄文文化を経てオホーツク文化~擦文文化となっていく。
擦文文化は和人との交易によって、狩猟のほかに農業、漁労を営むアイヌ文化へ成熟していく。

北海道の住民は蝦夷(えにし)と呼ばれ、古代は原始農耕の存在も確認されているが、狩猟・漁猟を生業とし、米や鉄等を和人との交易で得るようになっていった。
蝦夷はアイヌ人を指す。

「日本書記」によれば、658年~征夷大将軍阿倍比羅夫(あべのひらふ)は日本海側を北に航海して蝦夷を服属させ、粛慎と交戦した。

粛慎(あしはせ)とは樺太中部以北に住むニヴフを末裔とする説もあり、アイヌとは別の文化を持っていた。阿倍比羅夫は蝦夷を討って、後方羊蹄(シリベシ)に至った。
後方羊蹄は羊蹄山、安部比羅夫は倶知安比羅夫駅にゆかりがあると言う説もある。フゴッペ洞窟彫刻と手宮洞窟にのこる古代文字にも関係するという説がある。

平安時代には本州からの集団移住があり狩猟や漁業を営んだようだ。
鎌倉幕府は夷嶋(北海道)を流刑地としていた。

1457年
コシャマイン蜂起(渡島半島東部の和人に対するアイヌの武装蜂起)

14世紀の末頃(室町時代)
青森県下北半島の豪族だった蠣崎氏が独自政権を打ち立て、豊臣秀吉に蝦夷島主と認められて、姓を松前と改める。
以前から和人による商いや漁労が行なわれていたようだが、だんだんと小さな村が形成されるようになる。アイヌ民族との争いがあったようだ。

1593年
秀吉の朱印状(蝦夷島主認証)を得て蠣崎を松前と改称する。
(これは幕府から統治を認められたということ)

1604年
家康から黒印状(蝦夷交易独占権)を得る。福山城を築き松前藩が誕生する。

1618年
イエスズ会 松前に布教

1640年
駒ケ岳の大噴火 民衆約700人が津波による溺死

1669年
シャクシャインの戦い(松前藩の酷使に対するアイヌ民族の大規模な蜂起)

1668~1670年
津軽藩・水戸藩が蝦夷地調査

1785年
幕府の蝦夷地調査隊 松前に着く。東西蝦夷地を調査

江戸中期から後期、ロシアはカムチャッカ半島から千島方面へと進出、他の外国船も北海道近海へ出没するようになる。
1786年 ロシアとの交易を中絶する。

1797年
イギリス船が室蘭に来航、ロシア人がエトロフ島に上陸。

1798年
幕府は、蝦夷を直轄地とする。キリスト教を廃止してアイヌの国民化を図る。

1799年~
1816年まで伊能忠敬の東蝦夷地の海岸測量がはじまる。
八王子千人同心が白糠と勇払に北方警備と開拓のために移住した。
勇払で蝦夷初の牛馬飼育始める。  江戸~根室 直通航路開通。

1804年
ロシアが樺太・利尻などに侵入。幕府は松前藩と東北諸藩に警護を命じる。

1807年
間宮林蔵の第一次樺太探検
幕府が斜里警備のため津軽藩士をおくるが、越冬で100人のうち72人が死亡した。

1845年
松浦武四郎蝦夷地調査

1849年
幕府が北方警備強化のため松前藩に築城を命ず。(1854年完成)

1853年
ペリー 浦賀に来航

1854年
日米和親条約調印 日本は開国を認め、箱館と下田を開港し、幕府は箱館奉行をおく。

箱館は、西洋人の渡来、洋学校、五稜郭の築城、洋式造船、キリスト教会などにより、一挙に近代文明へと変貌する。

1858年
大友亀太郎が江戸幕府より領土を保全する開拓政策に則って渡島国に渡った。

1859年
幕府が奥羽六藩に分領させ網走の警備に当たらせた。

1864年
函館五稜郭の完成

1866年
大友亀太郎は「蝦夷地開拓掛」に任命され、札幌の開墾を始める。

1868年
明治維新が成立。富国強兵を進める。

1869年1月
榎本武揚らが蝦夷共和国を成立させる。箱館戦争終結によって消滅した。

1869年(明治2年)
北方開拓のために北海道開拓使が設置される。兵部省小樽役所設置。

1870年(明治3年)
政府提案により北方警備(屯田兵の前身)と開墾に従事する移民をおくる。
黒田清隆が開拓次官になる。
佐野孫右衛門が釧路漁場持ちとなり90戸が移住した。これが釧路の始まりとなる。

失業した士族の救済にあわせ、ロシアの侵攻に備えた。
維新戦争で賊軍となった伊達藩は家臣団とその家族220名で現在の伊達市に移住。その他札幌市白石区、登別市、当別町、栗山町角田の5ヶ所が仙台支藩の士族移住地となった。

1871年(明治4年)
廃藩置県により北海道は開拓使の直轄となった。
ケプロン他アメリカのお雇い外国人を招き北海道内を調査させる。
北海道の開拓はアメリカのフロンティア精神が濃厚に影響している。

1872年(明治5年)
北海道開拓使の募集をやめ、定着した移民への援助に切り替えた。
室蘭に開拓出張所を設ける。根室支庁網走郡開拓使が置かれる。

1873年(明治6年)
政府は士族による北方警備と開拓を主唱し開拓使の下に屯田兵を置いた。
小樽はカラフトへの定期航路を開始。

地租改正によって財政的基盤を失った旧藩の士族の救済のため、多くの藩が北海道へ移住した。
石川藩は室蘭、佐賀藩は釧路に入植。

1874年(明治7年)
屯田兵例則を定める。

1875年(明治8年)
ロシアと千島樺太交換条約。札幌郊外の琴似兵村への入地で、屯田制が開始された。

尾張藩の徳川氏が八雲町に、亘理伊達家は琴似に入植。会津士族(余市)、稲田士族(静内)などに続いて前田藩・毛利藩などの士族も入植した。

1876年(明治9年)
札幌農学校開校(昭和22年北海道大学となる。)
マサチューセッツ農科大学長W.S.クラークが教頭となる。

1877年(明治10年)
屯田兵第1大隊 西南戦争に出動する

1878年(明治11年)
札幌農学校演舞場建設 函館新聞創刊

1880年(明治13年)
豊平館建設  十勝・日高・胆振・石狩にバッタ大被害

札幌への道路は小樽が基点となった。
北海道で最初の鉄道は官営幌内鉄道(手宮 - 札幌 - 幌内)の一部として1880年に開通した。

最初の移民政策は、政府が補助し政府募集の移民を送り込んで定住させる目的だった。
開拓使の設置は、札幌の開発、道路・港湾・鉄道の整備、鉱山開発、官営工場の建設、札幌農学校の設置などを進め、集団移住者と屯田兵による開拓を推進した。
こうした中央主導型の開発とインフラ整備が、北海道の骨格を築き上げた。

1881年(明治14年)
明治天皇が北海道旅行開拓使計画の現地視察する。
浦河に摂津三田藩から赤心社が第一回目の入植。翌15年第二陣入植。
樺戸集治監開庁

東北・北陸・四国の各地方から、年間数万人もの移住者が渡航した。
栗沢町砥波平野には富山から移入の散居村がある。函館の開進社、帯広の晩成社、札幌の開成社、江別野幌の北越植民社、浦河の赤心社、長沼の真成社といった会社・結社組織が移住。

1882年(明治15年)
北海道開拓使は廃止され、屯田兵は陸軍省に移管される。
小樽~札幌~三笠間に鉄道完成(小樽港から石炭の積み出し本格化)
静岡県から十勝開拓の始祖となる晩成社が入植。(渡島、千島、十勝は屯田兵が入植しなかった。)
空知集治監開庁

1885年(明治18年)
淡路島から本門仏立講の信者集団が静内豊畑地区に入植。移住者の手本となる。鳥取県士族が釧路に集団移住。鳥取町となる。

屯田兵とは、兵士を遠隔地へ派遣し、平常は農業を営むかたわら軍事訓練を行い、軍隊の組織として戦うことを目的とした土着兵のことをいう。
最初の屯田兵は士族のみを対象としていたが、しばらくして平民出身の屯田兵が開拓の中心となっていった。
開拓移民が開墾して、自作農として独立するためには3、4年かかるのが普通だったが、その間の苦労は想像を絶するものだった。

屯田兵制度が北海道開拓に果たした役割には他に、現在の北海道における土地利用、牧畜と大規模営農に適したアメリカ型の広大かつ整然とした殖民区画がある。
こうした区画割は、今でも農村部のみならず、都市にまで適用されている。
現在、北海道は食糧基地としての地位を揺るぎないものとしている。

東北地方と北陸地方からの移住者は全体の7割近くを占め、言語や習慣などの点で北海道文化の元になった。
これにともない鉄道や国道が建設されたが、網走刑務所に代表されるよに、懲役刑の一環として行われた面もある。
石炭が産出されることから、数多くの炭鉱が開発され、輸送するための鉄道が縦横に張り巡らされた。

1886年(明治19年)
北海道庁が誕生する。北海道庁の設置とともに本格的な開発計画が推し進められる。
岩見沢から旭川までの90kmの道路が開通。樺戸囚治監の囚人による。

1887年(明治20年)
札幌麦酒会社設立(渋沢栄一・大倉喜八郎ら)

1888年(明治21年)
北海道庁本庁舎落成

1889年(明治22年)
北空知一帯、沼田(本願寺牧場)、北竜、秩父別、妹背牛、幌加内、および雨竜郡(蜂須賀牧場)の未開地5万haが払い下げられ、華族組合農場となる。町村牧場(町村金五)もこれが始まり。
呼びかけ人公爵三条実美の死後200haを残し、あとは国に返還した。

1890年(明治23年)
室蘭は第五海軍区鎮守府とされ、軍港になる。以降平民の屯田兵も認められるようになった。

1891年(明治24年)
永山武四郎本部長の屯田兵が旭川に入植。

1892年(明治25年)
北炭夕張炭鉱 採炭開始、翌年日本銀行派出所が小樽に開設した。

1894年(明治27年)
日清戦争

1896年(明治29年)
第七師団創設 屯田兵司令部廃止

1897年(明治30年)
北海道国有未開地処分法が公布され、本州の資本家に100万ha以上の大面積を無償で提供した。
野付牛に屯田歩兵第四大隊本部設置。(現北見市)
社長坂本直寛の土佐「北光社」が北見に入植する。

「開墾もしくは植樹に供せんとする土地は無償にて貸付し、全部成功の後、無償にて付与」するというもの。投機目的で貸付を受けたものも多く、大農場の建設が相次ぎ、北海道の不在巨大地主制となってしまった。
結果、明治末に多くの小作争議を生むことになった。

多くの不在地主が無償で得た土地を小作人に売り逃げする中で、有島武郎は父から譲り受けた有島農場(ニセコ町)を無料で開放した。
明治期における北海道開発の特徴は、資源略奪型の開発であったと言える。

1898年(明治31年)
徴兵令の北海道施行

1902年(明治35年)
第七師団旭川偕行社建築

1904年(明治37年)
日露開戦 小樽・函館間鉄道全通

<移住者の内訳>   明治15年~昭和10年までの出身府県と戸数
青森県-68,855 秋田県-64,067 新潟県-61,636 宮城県-51,831
富山県-48,445 石川県-47,901 岩手県-40,318 山形県-39,009
福島県-33,122 福井県-27,392 東京府-21,862 徳島県 17,970
岐阜県-15,297 香川県-14,367 広島県-10,777 愛知県-9,377
愛媛県-9,239 兵庫県-9,047 鳥取県-7,665 茨城県-6,950 滋賀県-6,533
長野県-5,956 高知県-5,810 岡山県-5,563 栃木県-5,473 静岡県-5,234
奈良県 -5,049 大阪府-5,033 福岡県-5,017 山口県-4,951
神奈川県-4,948 三重県-4,914 千葉県-4,670 山梨県-4,642
和歌山県-4,559 群馬県-3,891 埼玉県-3,890 京都府-3,751
熊本県-3,481 島根県-3,150 佐賀県-2,602 鹿児島県-2,505
大分県-2,472長崎県-1,500 宮崎県-624沖縄県-67 その他-5794
総数-717,206戸

現在の北海道の人口は5,507,456人(平成22年10月1日、国勢調査) (ウィキぺディア引用)

1906年
日本郵船(株)小樽支店建築
翌年日本製鋼所 室蘭に設立

1907年
釧路~旭川間鉄道開通

1910年(明治43年)
日韓併合
第1期北海道拓殖計画実施(15ヵ年計画) 軍事物資の輸送を主たる目的とする軽便鉄道法が公布された。
王子製紙苫小牧工場開業

1912年
日本銀行小樽支店建築
明治天皇崩御

1914年(大正3年)
第一次世界大戦

移民は大正9年をピークとして減少しはじめた。反対に北海道を離れる者が増加し、日露戦争後南樺太への移住が目立つようになっていった。

荒廃地が増え、地力の衰えが農地としての維持を困難にし、開拓事業によって森林の伐採、原野の開墾が進み、河川の決壊が増えた。

1927年(昭和2年)
第2期北海道拓殖計画実施(20ヵ年計画) 前年十勝岳大爆発

1931年(昭和6年)
満州事変

1934年(昭和9年)
函館大火

1941年(昭和16年)
太平洋戦争勃発

1945年(昭和20年)
終戦 アメリカ軍駐留:函館・小樽・札幌・旭川など
緊急開拓5ヵ年計画により戦後の食糧増産、復員軍人・海外引揚者・戦災者の就業確保のため、国策として開拓事業が行われた。

1950年(昭和25年)
北海道開発庁が設置された。第1回札幌雪祭り開催

第2次世界大戦敗戦による復員兵や、樺太、千島、満州からの引揚者、さらに東京大空襲の罹災者たちが、北海道に移住した。

戦後復興と高度経済成長期の初めは、北海道産の石炭が重宝され、多くの炭鉱労働者が北海道で暮らした。
しかし、エネルギー転換により1980年代までにほとんどの炭鉱が閉山されることになった。

北海道の開拓は明治維新後の約半世紀でその骨格が出来上がった。
なによりも開拓者の血の滲むような格闘が現在の北海道を築いたといえる。
不毛の原野をわずか130年の短期間で素晴らしい地域に造りあげた。

あらゆる辛酸を乗り越えてきた開拓者魂が世界に誇るべきこの美しい北海道の田園風景を生んだといえる。

忘れてはいけない開拓に残る負のイメージ

拓殖計画のもとに隠された戦争と軍事資源輸送のための鉄道布設工事の労働実態を
一地方の無名作家 沼田流人の小説「血の呻き」とタコ部屋から読み取る。

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札幌農学校の役割

明治9年(1876年)8月14日、札幌農学校は開校した。
札幌農学校は北海道の開拓の歴史と密接に繋がっており札幌の発展に伴って規模も拡大し現在の北海道大学へと発展した。

画像の説明





札幌市時計台は札幌農学校の演武場として建てられた。
開拓期のアメリカ中・西部で流行した木造建築様式を取り入れている。






札幌農学校の初代教頭にはW・S・クラークが招かれ、直接科学とキリスト教的道徳を教育した。
2代目のホイーラー教頭もクラークの精神を引き継ぎ、2期生からは新渡戸稲造(教育者)、内村鑑三(思想家)、広井勇(土木工学)、宮部金吾(植物学)らを出した。
彼らは、北海道開拓のみならずその後の日本の発展に大きな影響を与えた。

札幌農学校では開校初期にはアメリカ出身の教師が多かったこともあり、イギリス・アメリカ風の大農経営・畑作に重点をおく農学が講義されていた。
その後、ドイツ農学や歴史学派経済学の影響を受け次第に中小農経営と米作に重点をおく農学へと学風が転換していった。
北海道の入植者に模範的な畜産経営を普及させ、洋式農業建築として模範家畜房、穀物庫、ギャンブレル屋根の牛舎などが建築された。

  • ギャンブレル屋根

北海道における最初のギャンブレル屋根畜舎の導入は、民間酪農家の宇都宮仙太郎が上白石の牧場に大正元年(1912年)建設したキング式換気法採用の牛舎である。『殖民公報』第79号(北海道庁1914.7)

中井景観デザイン研究室 中井和子ゼミ資料「北海道におけるギャンブレル屋根の導入と展開」から引用

画像の説明



北海道開拓の歴史の過程で札幌農学校のイギリス・アメリカ風大農経営・畑作に重点をおく農学の思想がギャンブレル屋根畜舎の導入に影響している。






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北海道の自然公園

北海道独自の自然

  • 国立公園
利尻礼文サロベツ国立公園.....利尻、礼文、サロベツ原野S49’9/20
知床国立公園(世界遺産)知床半島S39’6/1
阿寒国立公園阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖S9’12/4
釧路湿原国立公園釧路湿原S62’7/31.
大雪山国立公園旭岳が主峰S9’12/4
支笏洞爺国立公園支笏湖、洞爺湖、有珠山、羊蹄山...S24’5/16

  • 国定公園
暑寒別天売焼尻国定公園天売島、焼尻島、暑寒別山系H2’8/1.
網走国定公園サロマ湖、網走湖、能取湖などS33’7/1
ニセコ積丹小樽海岸国定公園ニセコ火山群、積丹半島、小樽海岸S38’7/24
日高山脈襟裳国定公園日高山脈、襟裳岬の一帯S56’10/1
大沼国定公園駒ヶ岳、大沼などの湖沼群S33’7/1

  • 道立自然公園
檜山道立自然公園渡島半島の西海岸エリア、奥尻島S35’4/20
野付風蓮道立自然公園野付半島と風蓮湖S37’12/27
北オホーツク道立自然公園クッチャロ湖S43’5/15
厚岸道立自然公園厚岸湖、霧多布、アイカップ岬などS30’4/19
富良野芦別道立自然公園芦別岳、シューパロ湖、夕張岳S30’4/19
恵山道立自然公園 恵山、日浦岬 S30’4/19
松前矢越道立自然公園矢越岬、大島・小島、津軽半島遠望S43’5/15
道立自然公園野幌森林公園...瑞穂の池周辺などの天然林 S43’5/15
狩場茂津多道立自然公園 狩場山、泊川、茂津多岬 S47’6/23
朱鞠内道立自然公園朱鞠内湖、ピッシリ、釜ヶ淵S49’4/30
天塩岳道立自然公園天塩岳、ウエンシリ岳山麓 S53’1/6
斜里岳道立自然公園斜里岳S55’11/13

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